やりたいことがたくさんあるので書き出してみた。

やりたいことがたくさんあることに気が付きました。

 

ハリーポッターを読み直したい。

合わせてDVDも見直したい。

 

文庫化されたサラバ!を読みたい。

 

読みかけの、朝ドラ原作を読みたい。

 

録画している番組をみたい。

 

カーディガンのぼたん付け替え。

 

アンコールワットのこと調べたい。

 

台湾のこと調べたい。

 

簿記の過去問ときたい。

 

 

どれも机上でできることなのだが、

なんだか忙しい

そんな感じ。

 

よくよくみると、やらなくてもいいことだらけだ。

でもこのやらなくてもいいことをやらないと、

やらないといけないことすらできなくなるから

人間っておもしろいよね。

 

気を張ってがんばるところと、ゆるめるところ、緩急をしっかりすることが大切なのかもしれないなー。

なにもかもバランスだ!

 

 

とかわかりきったようなこと書いてるけど、まだまだ若輩者。

年配の方の助言、夢中になってもっとやるということも忘れてはいないよ。

 

言葉をそのまま咀嚼するんじゃなくて、いったん自分の中で噛み砕いてみる。

平日コアタイムは夢中になって研究するけど、土日祝は趣味に夢中になるよ、だから研究室にはいかない。

 

わたしにとって土日祝は平日がんばるための大事な時間だ。これは譲らない。屁理屈ぽいけど、休みも大事だよね。

 

 

 

さてきょうは不死鳥の騎士団をみるところからはじまるよ。

 

電気製品が苦手です。

ストレスにおもっていることがあり、改善したいのですが、どうにもこうにも腰が重いです。

iPhone二台持ち

パソコンでNetflixがみられない

 

 

iPhone4SiPhone6レッツノートを主に使っています。

 

iPhone6は普段使いです。

一度、水没させてしまい、ライトがつかないこと、たまにタッチ機能が狂うときがある。とくに不便はありません。

 

iPhone4Sは昔聞いていた歌が入っています。

その歌を聴きたいがために捨てられません。

 

この二台もちにストレスを感じています。

4Sに入っている音楽ってレッツノートにうつせないのかなー。

そうすればストレスはなくなるのだけどね。

 

 

電気製品がそもそも苦手で、スイッチオンとオフしか使えないようなタイプです。

パソコンの設定もよくわからず、なぜかNetflixがみられないという状況におちいっています。

数か月前は見られたんだけど、なにがおこったのかわかりません。

MicrosoftSilverというソフト(?)を再ダウンロードせよとあったので、やってみたのですが、すでにダウンロードされているらしく、再生できません。

とにかく、Netflixがみられたらいいだけなのに、なんだこのストレスー。

 

 

という感じで、きょうはすこしパソコンとむきあってみようと思います。

【一人暮らしの食事】最低限の考えで、最高の食事

スーパーでの買い物がしんどいです。

 

なにを買って、なにを作ればいいのか、栄養は足りるか、量は適正か、いつもよくわかりません。

いま買おうとしているものが本当に必要なのかどうか、考えることが面倒です。

 

食事のことを考えることが本当に苦痛です。

一日三回にわけて食事をとる必要があるので、体ってめんどくさくつくられているなと思います。

でもそんな食事が大切なことはわかっています。

口にするもので、考えや行動がかなり左右されるということを、一人暮らしになってから身を以て知りました。

 

 

最低限の考えで、最高の食事をするためにどうすればいいか。

ある程度、パターンを決めることで解決です。

 

 

■朝

白湯

お酢×ヨーグルト

果物(あれば)

 

とにかく、起きてすぐにティファールでお湯をわかしてぼーっとしています。

それから洗濯をまわしたり、今日することを考えたり、やけどしないいい温度になるまでベットにいます。

白湯をのんでから、掃除機をかけて、クイックルワイパーをかけて、コロコロをします。

ひととおり、綺麗になれば、お弁当をいれます。

そうしていると、洗濯がおわるので洗濯物を干して、ヨーグルトを食べます。

果物があれば食べます。冬以外はスーパーで売っている旬のものを食べます。冬は寒くて、バナナとかとても食べられないです。

夏はスムージーに氷をいれたりしてのんでいます。

いまは、梨と柿とバナナが多いですね。

とにかく、朝は、なにかしているあいまに、のんだり食べたりします。

 

 

■昼

基本的にお弁当です。

おかず3品と白ごはんです。

おかずは作りおきしたものをつめています。

大したものではなくて、チンしただけのものもあるし、あまったお惣菜をいれただけのときもあります。

でも野菜おおめになるようにしています。

ちょっと頑張るときは、お肉をいれたりしています。(テンションがあがるので。笑)

 

■夜

あんまり決めていません。

つくりおきのもの(お昼と同じ)を食べたりする日もあれば、買ってきたお惣菜で済ませたりするときもあります。

野菜おおめの汁物があるようにしていますが、間に合わないときはないままおわります。

それ以外は、軽くいためものをしたりする程度で、とにかく簡単に済ませています。

 

洗い物が面倒なので。笑

 

 

 

■間食

朝は、席についてすぐ、珈琲をいれて、クッキーやチョコを食べます。

昼以降は、ぼーっとしてきたら、珈琲、紅茶と一緒にチョコレートを食べています。

ナッツにしたりしたこともありますが、やっぱりチョコやクッキーが好きです。

また、ごはんを増やして間食をやめることも試しましたが、できませんでした。

ごはんの量の有無ではなく、間食によって気分転換をしているのだと気づきました。

 

 

食べたいものを本当に食べられているかというと疑問ですが、かなり健康的なので満足しています。

実際、160cm、50kg前後で、健康診断でもすべて正常範囲内ですし。

 

 

こんな食事なので、たまに外食をすると、楽しくて仕方ないです。

それはそれでいいかなと。笑

 

 

 

 

雑記の中の雑記

時間があっという間に過ぎていく。

というわりに、一週間は長く、やっと金曜日と一息ついているところ。

今週はやるべきことを終えることができたので、なんともいえない解放感があります。

自分のやることをこなしたあとの達成感のために生きているのかなと思ったりもする。

もっと他に楽しいことがあるだろうといわれるかもしれないけれど。

 

きょうはとりあえずここで書いてしまって、頭の中を整理しよう。

 

外で話すと言葉を選んでいます。

適当な話題と、適切な態度、その中に自分がいません。

きょうは、目上の方2人とお茶をのみながら雑談する機会がありました。

その場はとても和やかで、冗談もまじえて話すのですが、本当のわたしはそこにはいません。

というのも、相槌や合いの手、なにもかも作りものです。

話している内容なんてつまらないし、なんの意味もないし、正直そんな話をしたところで、目上の方と距離をつめたいわけでもありません。

人と関わりたいとこれから思うようになるのでしょうか?

人とかかわって、新しく知っていくことはそんなにいいものなのでしょうか?

なんの意味も感じません。

 

きっと無理をしているからだと思います。

いつまでもいい子ちゃんは抜けないですね。

こんなことを思うのはいけない、ここではこういうことを言うといったことにいつまでも縛られています。

 

どうすればいいのでしょう。

もう会話をしないことでしょうか?

無理をしないで人とかかわることができるのでしょうか?

多少の、我慢が必要なのはじゅうぶん承知している。

わたしの場合、我慢がすぎるのかもしれません。

 

いつからこんなことになったのでしょう。

もうかかわりたくないです。

 

 

きょうは頼んでもいないのに、わたしのために行動してくれた後輩がいました。

その行為は、とてもすばらしいのですが、その行為に対する目上の方々の発言にいちいちむかついていました。

正直、接し方がいつまでも学生のノリなのでしんどいです。

は?と思うことばかりです。

もう相手にしていませんが、それでも腹がたつことはたくさんあります。

 

ひとりでいるとこんなことないのにと悲しくなります。

人と一緒にいたいけれど、その人は選びたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

やりたいことは海外ひとり旅だったりする。

やりたいことがある。

 

それは、海外ひとり旅だ。

 

もともとひとり旅が好きで、国内はあちらこちら出かけた。

しかし、海外はすこしこわくて踏み出せないでいた。

いまでも、本当に行きたいのだろうか?

 

どうしていきたいと思うようになったのか?

考えても仕方がないことばかり考えています。

 

しかし行きたいと思ったのは事実で、

こんな風に思ったときがタイミングなのだと言い聞かせて、準備をしている。

 

といいつつ出国は2月である。

じゅうぶんすぎるほどの準備期間がある。

 

海外旅行の準備と、それにともなう気持ちの変化を記録していこう。

 

とりあえず決まっていること、

行先はヨーロッパ(国は未決定)

出国は2月中旬から下旬(修論がおわっていることが望ましい)

期間は7~10日間 (移動日含む)

 

 

とりあえずいま見ているのは、旅工房とスカイスキャナーのサイトと、生協にあったパンフレットだけ。

旅行会社に足を運んだほうがいいのだろうか?でも行くと、契約結ばされそうでこわい。よくよく吟味しないと気が済まないのだ。

 

 

実は今年は、このひとり旅以外に海外へ行くことがある。

国際学会のため7日間の韓国、母親と3日間台湾。

とりあえず学会の分のホテルと航空券は手配済。

母親との台湾は韓国の予約とほとんど同じなのだから、今日中に済ませよう。

でも母と行くから、できるだけいいプランをと思ってしまって、なかなか決められない。

韓国はじぶん一人のことだから、これでいいかって思ってそそくさと決められたんだけど。

じぶん以外の誰かが絡んでくると、とたんに判断が鈍ってしまう。

昔からの気質はなかなかなおらないし、もはやいまはなおそうとも思ってないけどね。

こうして迷って判断ができないでいるけど、できるだけベストをつくそうと思って行動していることそのことに楽しみすら覚えてきているからね。

 

 

なにも考えずにかいているから、本筋から大きくずれる。

海外ひとり旅から、直近でいく海外の話になっていた。

 

とりあえず、海外ひとり旅にいくまでに二度、海外へ行くので、大丈夫だと自分に言い聞かせている。

そんな感じ。

 

 

 

国際学会は準備が大変だし、

母親といく台湾までに、修論書き始めて第一回目の添削おえていないといけない。

しんどいことのほうが多いかもしれないけれど、そのしんどさを乗り越えたら、楽しみが待っていると思って頑張ろう。

 

 

駄文ですが、書くことが好きです。

文章をかくことが好きだ。

読むことはもっと好きだ。

 

どれくらい本を読んでいるか、冊数にしては不明だ。

本棚のおさまっている本を数えたいとおもったことは何度もあるが、やはり目の前にすると、数える必要性はないと自分を納得させてあきらめている。

 

とにかく、外出するとき鞄のなかに本が入っていないと落ち着かないし、10分程度することがないときは本を読みたいとおもって、実際読めるときは読んでいる。

とにかく、部屋のあちらこちらに本があって、3~5冊は並行して読んでいる。

物語にどっぷりつかりたいときもあるし、かるい短編をよみたいときもあるし、エッセイでくすっと笑いたいときもあるし、はたまた自分を見つめなおせるような人生論のような本を読みたいときもある。

 

そのときどきのじぶんの読みたい本を読んでいる。

読んでいる本が自分のいまの気持ちを知るバロメーターになっているのかもしれない。

 

さて、そんな読むことが大好きなわたしが、どうしてブログを開設したのか。

にうつりたい。

 

読むこと≫≫≫≫≫書くこと

 

 

読むこと>書くこと

 

そうなのだ、かなり読むことが大好きで、書くことは好きでも嫌いでもなかった。

しかしここ数年、すこしかわり、

読むことはもちろん好きだが、書くことが好きだということに気が付いた。

 

どうしてだろう?と考えてみてわかったのだが、

これまでは書かなくても自分が思ったことを素直に口に出していたし、

素直なことを口に出せる環境にいたからである。

つまり書く必要がなかったのだ。

 

書かなくても自分がおもったことを声にだして、発信できていたのだ。

 

それが、年次があがるにつれて、周囲の環境もかわり、素直におもったことを口に出せなくなってしまった。

これが決して悪いことではない。

環境がかわり、接する人たちはさまざまな年代性別、育ってきた背景もちがう人たちで、そのためもちろん考え方もそれぞれ。

そういった人たちと話すことは、いい刺激である。

 

とくにわたしは、自ら外へでて活動しないので、大学、研究、アルバイト、これらの小さな輪から派生した出会いしかないのである。

(かなり受け身だ。)

こうした小さいコミュニティからでもかなりたくさんの出会いがあるもので、わたしは日々それらを受け止め、じぶんのなかに生じる変化を喜ばしくおもっている。

それがプラスであれマイナスであれ、なのだ。

 

 

 

そうなのだ。

わたしは人が好きなのだけど、それらをうまく表現できなくて、モヤモヤしているのだ。

そのモヤモヤをここで発散させるのは、正解ではない気がする。

本人に伝わらないと意味がないのかもしれないけれど、あくまでここは自分のうちを処理する場にしたい。

 

変なことばかり書いていて論理的でないので恥ずかしい。

一応、理系なので論理的でないことをかくことは罪なような気がしてならないので、こうしてことわっておこう。

 

 

ということで、ブログをはじめました。

少しずつ充実させていこうとおもっている。

 

少しずつ。